Type−J 


最愛の「国産車」 いすゞ・「ベレット」



  私が、7歳から11歳まで、我が家の「愛車」でした。

 72年式・いすゞ・「ベレット」Type−R。

 「今」でも「最愛の国産車」です。

 ボディーライン、リアのフェンダー、

 そして、「ソレックス・サウンド」

 何もかもに「魅了」されました。

 そして、「命」の?「恩人」なんです。






8歳の時、日が暮れるまで、「遊んでいて」

真っ暗になりそうな、

帰り道「犬に襲われて」帰宅。

自分の足がどうなっているのか、暗い為わからず、

我慢して帰ったら、土曜日で知り合い集めて、

宴会準備の途中。

明るい所で見た噛まれた、左足。

痛みより、驚きで「大声で泣いた」

16、18歳になる時、単車・車の運転ができないかも・・・

その絶望感。





「救急車」だっ!と大騒ぎの中、親父が言った。

オレのRのほうが、速い!!

ナビシートはいつも「母の席」、そのとき初めて乗った。

救急病院まで、2分くらい。ものすごい「加速」 

信号など、見ていたのだろうか?

目がついていかなかった。




おかげさまで「今」、「傷跡」もなく、「車」の運転してます。




ある日、知り合いの「解体屋さん」の敷地で遊んでいるとき、

学校の先生が真っ黒になって、何かを探していた。

担任でもなく、習ったことのない先生。

話しかけてみると、先生の車は「GT」だから、

「R」というマークを探していると・・・

3つないとダメで、あと、1つで揃うという。

ずっと、探し続けていたらしい。

     



 

その日の夜、親父に話をしてみた。

                                

「先生の車」の名前は知ってたけど、

知らないフリをしてきた。親父は「ガサガサ」と部屋のどこからか、

「R」のエンブレムを持ってきた。「明日、先生に渡せ」

オレにはもう「必要」ない。

念の為、「ストック」してあったモノ。




次の日、「職員室」へ。先生に「父が先生に渡して来い」って・・・

ウチ、「ベレット」なんです。学校の駐車場にあるの知ってたけど、

先生の車だって知らなかったから・・・ 

これからも大事に乗ってくださいね。

と言うと、先生は、震える手で受け取り、

目に涙を浮かべていた。

今も乗ってるといいなぁ。






そして、11歳になる時、親父が「売る」と言い出した。

買い付けに来た、18歳のお兄さんに

「私が18になったら返して欲しい」と泣きながら言った。

もちろん、帰ってくることはありませんでしたが・・・

だけど、「メイン・キー」は残してくれてました。

高校受験の時、「お守り」として、首に下げてましたね。

「家の鍵」です、とウソをついて・・・

「ISUZU」と大きな文字なのに、

気が付いた人はいなかった。

 


実は、この車を探しています。一度でいいから自分のキーで、

ソレックス・サウンドが聞きたいです。

売却当時のナンバーは「多摩58さ 19−45」キーナンバー「B5030」です。

これしか、情報がありません。よろしくお願いします。

このページで使用している写真は、1980年「ISUZU FAMILY DRIVE & PARTY」 in 白樺湖

に参加の際、T様に撮って頂いたものです。

親父が「ベレット」を運転中に対向車として、すれ違った、

「ベレット」のオーナーの方に声をかけられて、

このイベントに参加させて頂きました。

最高に「楽しかった」です。


おまけ・親父の記録 
都下某所より、実家の宮城県北部まで、約550キロの道程を5時間で走破。
午前10時出発、午後3時到着。
一般道を走り、東北道・久喜インターチェンジから、築館インターチェンジまで、
そこからさらに30キロある町。
高速道路上で、同年式くらいの、フェアレディZ、カローラレビン・TE−27と「バトル」し勝利。
平均時速、160キロ、メーターを振り切るまで、出していったという。
単独のため、証人は「実家にいた、今は亡き祖母」からの電話。
      この記録は、今のベンツでも「更新」できていない、コースレコード?である




「思い出の中を走り続けている・ベレット」いつかまた「めぐり会える日」を信じて・・・